桜井充メールマガジン

桜井充メルマガ「自助・共助・公助」

2020年09月25日 (金) 10:58
菅総裁が発言された「自助・共助・公助」の原則に対して、国会議員が「自助」を求めることはおかしい、という趣旨の発言が上がっている。本当に自助は必要ないのだろうか。
 
民主党政権下では、子供は社会で育てるという方向性だった。子育ては家庭内で完結できるものではなく、色々な人たちの手助けが必要である。共働き世帯や核家族世帯が増加したことで、家庭の外からの手助けはより重要になっており、私も、社会全体で子育てに協力していくことに異論はない。だが、子供は、原則的には親が育てるもの、そして家族が育てるものである。家庭での子育てが先にあり、それを社会がサポートしていくのだから、基本となるのは自助だと言える。
 
企業はどうだろうか。自助を求めず、はじめから公助に頼っていては、共産主義国家になってしまう。もちろん、今回のコロナ禍のように、自分たちの力だけではどうにもならない場合には、公助が必要であることは言うまでもない。だが、原則の話をすれば、企業は自らの力で経営されるべきである。
 
話は変わるが、私の母は、先日、介護老人保健施設を退所して家に戻った。コロナの影響で、入所中はほとんど面会もできなかったこと、妹が家にいられる時間が長くなり、面倒を見られるようになったこともあって、自宅に戻ることになった。数年前までは、一人で海外旅行に行くほど元気だったのだが、転んで手を骨折し、ぎっくり腰を患ってから、急激に悪くなってしまった。
 
在宅介護を行うにあたって、ケアマネさんや訪問看護の関係者の方と打ち合わせをさせて頂いたのだが、介護ではこのように物事が決まっていくのかという現場を見させて頂いて、本当に勉強になった。
 
その中で驚いたことは、母の要介護度が1だったことである。一人ではとても生活できないのだが、ご飯は何とか一人でも食べられるし、トイレに行くこともできる。もう少し要介護度が高いと思っていたが、違っていた。要介護度1では、ベッドにつける手すりも有料になるかもと言われたが、手すりが無ければひとりで移動するのは難しいのだから、要介護度認定がきついようにも感じた。
 
このように、介護においても、共助や公助に頼りながらも、自助が行われている。自助には個々人の限界があり、それができなくなったときに、政府が支援するのは当然のことであるし、助けを必要とする方を公助に結びつける努力を怠ってはいけないが、自助という考え方を持つことも、時には必要であると考えている。
 
 
参議院議員・医師 桜井 充